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世界史から学ぶ科のブログ
5月15日 特別公開講座「乱世に生きた天才軍師 黒田官兵衛」
 当科では、午後のクラスミーティングに代え、黒田官兵衛の特別講義を全員で聴講する機会を得た。

 講師の先生は豊富な歴史知見を持たれており、多くの著作と共に、今年放映中のNHK大河ドラマ
「軍師・官兵衛」の時代考証も担当されている。
 過去のドラマ「天地人」・「江~姫たちの戦国」など多くの考証作業の経験も踏まえた興味あるお話を
聞くことができたので、以下にその要点を記す。

 
図1

                           小和田哲男 静岡大学名誉教授


      ・軍師の二つのタイプ「呪術者型」と「参謀型」のうち、官兵衛は後者に属す。
      ・当時「軍師」という言い方はなく、「軍配者」と言われた。
      ・兵法書は「孫子」をはじめ漢文で書かれているが、官兵衛は幼時から禅寺で漢文を学び、
       多くの素養を積んだ。
      ・黒田家はもともと播磨の御着城主・小寺政職の家臣の小大名に過ぎなかったが、官兵衛は
       迷う小寺家を織田信長方 に導くと共に、秀吉の播磨入りを機に秀吉の軍師となる。

      ・本能寺の変の知らせを聞き、悲嘆にくれる秀吉を「ここで光秀を討てば、武運が開ける」と説き
       、「中国大返し」を先導し、見事光秀を討ち倒して秀吉の天下統一の立役者となる。
       この頃の官兵衛が、人生で一番輝いていた時代と先いう。
       なお、官兵衛が「信長の死はめでたい」と言ったとされることについては疑問あり。
      ・その後、官兵衛は九州攻めでも軍功を上げ、中津藩主となるが、佐々長政55万石、小早川
       55万石の論功行賞に比し、官兵衛の12万石は低すぎるとの意見がある。
       しかし、もともと佐々は20万石、小早川は18万石の大名であり、当時の平均加増率は
       2~3倍で、官兵衛の家禄は播磨3~4万石であったことを考えると、かなり優遇されたもの
       であったと言える。
      ・江村専斎の「老人雑話」の中のエピソードに、「秀吉の次に天下を取るのは誰か」とう話が
       でたとき、秀吉が「官兵衛だ」と言ったと記されている。これを聞いた官兵衛は、「これは拙い」
       と判断し、早々に仏門に入り、「如水」となったとされる。
       しかし先生は、そんなことを秀吉が言う筈はなく、後世の物語であろうとのこと。

      ・ついでながらの話として、秀吉は北条攻めで「総構え」の小田原城を攻め倦み、散々苦労
       して降伏させた。この経験をもとに秀吉は「総構えの大阪城」を築いたが、家康をいたく信頼
       していたらしく、家康に向かって「大阪城を攻め落とすには、外堀を埋めることだ」と教えて
       いたという。大阪人にとっては、なんとも空しく悲しい話であった。
      ・なお、長年の時代考証の経験談として、脚本の段階で多くは過ちを修正できるが、作品を
       作る側の意向で、どうしても修正できないこともままある由。
       信長は長い戦いを通じて各所で焼き打ちを行っているが、浅井長政の小谷城にだけは火を
       放っていない。
       しがし、「江~姫たちの戦国~」では、落城してお市と3姉妹が逃げ延びるシーンでは、
       ドラマの製作効果上、火を放つことになってしまったと言う。テレビでは、歴史ではなくドラマ
       として見ることが必要ということか。

                                                         以上

 科内の役割分担が決まり、ブログの運営には広報係が関わる様になりました。この記事は、その
手始めです。



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5月15日 草原の帝国 トルコ系遊牧民の系譜(その1)
 講義は、齊藤茂雄先生(大阪大学特任研究員)による”草原の帝国 トルコ系遊牧民の系譜”でした。
 先生の研究成果も含めた、遊牧民の文化と国家についてのお話は、大変興味深く楽しいものでした。


CIMG0884.jpg


 講義の中では、楽しい話が一杯・・・・・・

      *ペストはアジアユーラシアからヨーロッパに広がった。その感染源の一つが大ネズミ”タルバガン”  
        その肉は結構美味らしい。かつてこの大ネズミの狩猟は、馬上から弓で仕留めた。

CIMG0889.jpg


      *遊牧では、羊9に対しヤギ1(ヤギは草を食べすぎる)。近年、カシミヤの需要の高まりにより、
        羊とヤギが半々にも.。その結果として、草を食い過ぎて草原の危機に

      *乳製品のチーズの実物は、臭いがきつく、かたい。水につけて軟らかくしてから食するらしい

CIMG0886.jpg


      *お茶は10世紀から。野菜はあまり摂らないので主要なビタミン源。見たとこは、ヨーロッパの
       ロイヤルミルクティ?のような感じだが、味は?。 塩を入れて飲むのだそうです。

      *トルコ語を話す民族がトルコ人・・中央ユーラシアの草現ベルト地帯に広く分布

  等々話は尽きません。

  尚 講義の中で出てきた、遊牧民の住まいである”ゲル”は、国立民族学博物館(6月5日遠足)
  で現物を見ることが出来ます。



 

 
5月8日 「真ん中」からユーラシア史を眺望する
赤木崇敏先生(大阪大学 招聘研究員)による講義は、大変興味のあるものでした。

  テーマ:  「真ん中」からユーラシアを眺望する
       ー「中央ユーラシア」のなかの敦煌莫高窟ー

 約03000年前に遊牧騎馬民族が登場し、約1000年前中央ユーラシア型国家の支配
が始った頃の「中央ユーラシア」は、遊牧民・オアシス民が文化伝播の担い手として
世界史を大きく変動させる契機を生んだ時代であり、決してヨーロッパや中国など
ユーラシアの「周辺」から見た、内陸「辺境」ではありませんでした。

 その中央ユーラシアのオアシス都市=敦煌、ユーラシアを貫く交流・交易の所産である
莫高窟についての講義は、最近の研究成果の紹介を含めた、一般の歴史書には出てこない
史実を含めたものであり、面白く興味深いものでした。

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 午後のクラスミ-テイングは、クラス運営について。委員長以下の科の委員が決まりました。